HOME >沿革・概要

沿革
聖観世音菩薩



曹洞宗 萬年山 瑞松寺≪沿革≫ ~移転と廃佛を乗り越え~

応永年間(1394年~1428年) 松本市島立に草庵があり小笠原長秀(信濃守護職)を開基(寺を創立した者)とした。

永正年間(1504年~1521年) 深志城(現在の松本城)に、小笠原貞朝の臣島立右近貞永が入り、「深志城」と称し たのを機に、寺も島立から松本神社(松本城の北隣に鎮座する)辺りに移築された。

天正10年(1582年) 小笠原貞慶が旧領を回復し城主となった際、旧怨のため廃寺没収された。 開山の明岩和尚は止むを得ず、郊外の山(山辺)に退去して潜居した。

天正18年(1590年) 石川康昌入城にあたり、その信仰により再興の許しを得て、現在の松本市内の 飯田町北端辺りに造営し、改めて萬年山瑞松寺と称した。

慶長18年(1613年) 小笠原秀真政が松本城主として入城した際、再び譴責を受けたが、お許しが叶い、 改めて宮村町(今の全久院の地)に寺地の指定を受けて、そこに引き移り再建した。

明治5年(1872年) 20世大鳳和尚の代、政府の廃佛毀釈令により、廃仏の難に遭遇し廃寺となった。

明治13年(1880年) 廃佛からの8年、地域で仏教を信仰する民衆の願いから、瑞松寺の復興が官許された。 しかし、廃佛前、元在った場所での復興は出来なかった。その理由に、やはり同時期、 廃佛毀釈で廃寺となった全久院(曹洞宗)という寺院が、先に瑞松寺の地所に寺を再建 してしまったからだ。
そのため、瑞松寺の末寺にあたる源地宝泉院(ほうせんいん)の小さな寺を修理し、 明治13年に再興された。

第二次戦中戦後を経過して本堂伽藍は老朽化し、再興9世哲雄老師の時に、現在の 鉄筋コンクリート造り二階建ての本堂を建立。
瑞松寺はここに面目を一新した。
≪本尊は 聖観世音菩薩≫
(廃佛毀釈の時代に唯一残ったのが ご本尊観音様)
概要
萬年山 曹洞宗 瑞松寺
〒390-0811
長野県松本市中央3-7-12
電話番号 0263-33-8815
fax番号  0263-37-5180

住職 茅野 俊幸
東堂(前住職)茅野 幸隆