慈温院瑞香美徳禅尼 (5月21日 妻 美代子逝去に際して)

ブログでの報告になりますが、私 住職の妻であり 寺族である 茅野美代子が、

先月5月21日(日)午前2時30分に永眠いたしました。檀家の皆様はじめ、地域の方、全国に御縁のある方々には長年に渡りますご厚誼に感謝申し上げます。

葬儀は 5月24日(水) 瑞松寺にて 当日は 530名を超えるご弔問を頂き、また 逝去の報せを聞いて後に100名近くの方にご焼香頂き、心より深く御礼申し上げます。 この後に、妻 美代子の八年に渡るがん治療に触れた、地元新聞 市民タイムスのわたくしのコラムを掲載させていただきました。一読いただけたら幸いです。 戒名慈温院瑞香美徳禅尼(じおんいんずいこうみとくぜんに)の 「瑞香」 とは 瑞松寺に永久に香る花、また、瑞香とは じんちょうげとも読みます。花ことばは 永遠 不滅 栄光です。 妻は 永遠に みなさまの心のうちにおります。  

市民タイムスコラム2023年 6月分

星は妻に光を授け給う

瑞松寺 茅野俊幸  6月3日、今日は妻の二七日(ふたなのか)。先日、妻の遺影前で、武者小路実篤の詩を読んだ「ふまれても、ふまれても、我はおき上がるなり。青空を見てほほ笑むなり、星は我に光を授け給うなり」。妻はこのような人だった。8年前、私の妻は大腸がんの手術を受けた。その後、治療を続けながら、寺の仕事や華道池坊師範としてお花を教え、私がおこなうNGO(非政府組織)の海外支援のサポート、レストランどんぐり浅田修吉氏率いる炊き出し隊みらいの被災地支援には積極的に参加した。妻の持ち前の明るさで、誰もがんであるとは思わなかった。それよりも、妻からは「周りの人たちにがん治療のことは他言無用」と念を押された。自分の病気のことを、誰に、どこまで伝えるか?がん治療の事を相手に伝えることで、人間関係のバランスが変化し、日常付き合いがぎくしゃくすることもある。私は悩んだ。他人に妻のことを黙って、平静を装い生活する辛さ。がんに対する社会の否定的イメージで治らない(・・・・)()と噂され、人から人への噂話は尾ひれがつき、その人を見る目が変わっていくこともある。生前、妻とは誰に事実を伝えるか?繰り返し話し合った。その後、地元の病院で二度の手術をおこない、三年前に局所(きょくしょ)再発(さいはつ)(手術した同じ場所に再度がんができる)して、彼女はそれに怯むことなく、主治医の紹介にて名古屋大附属病院で24時間の大手術をおこなった。術後も、子どもたちに生け花を教え、生きる力を子どもたちから頂いているようだった。今年に入り、私は主治医から妻の終末期を告げられる。しかし、妻は「私は絶対に治すから!詳しい説明はいらない」と医師を圧倒する強い意志(・・)で、残された時を生きた。また、私や看護師と楽しく談笑することで、痛みを吹き飛ばし、一日、一日を大切に生きていた。4月に入り、妻の看取りの時がきた。妻には伝えず、私と主治医、院内の看護師、訪問看護師、ヘルパー、ソーシャルワーカー、薬剤師等と最期の退院計画会議をおこなった。私は覚悟を決め、妻の在宅介護が始まった。毎朝、点滴交換(時に麻薬性鎮痛剤を投与)、イレウス(腸閉塞)管のケア、ジクトルテープ(痛みどめ)とおむつ交換、マッサージ、2時間おきの体位変換。不眠不休の辛い日々。それでも丸の内病院の献身的な訪問看護もあり、最期は自宅で看取ることが出来た。最期に妻の呼吸が静かになった時、星は妻に光を授け、私はそのあたたかい妻の光に包まれていた。